稲毛にはかつて「海気館」と呼ばれる洒落た旅館があり、小説家や画家が時折訪れていました。その旅館の目の前には海岸と松林が広がり、周囲にはたくさんの別荘が建っていたそうです。ギャラリー・いなげでは、海辺の別荘地であった昭和30年以前から現在に至るまでの稲毛の歴史を、出来事、風景、人物、物語などさまざまなトピックでお伝えする『海気通信』を不定期でお送りいたします。
※下記からpdfでダウンロードできます。
海気通信7号 「かってに!?いなげ八景候補えらんでみました」
海気通信5号(裏面) 「旧神谷傳兵衛別荘内部のみどころを少し探る」
海気通信(創刊号) 「なぜ傳兵衛は稲毛に別荘を建てたのか?」
海気通信7号の「海食崖」についてお尋ねします。
稲毛~登戸の崖は明治10年代に施工された道路工事により切り崩されたものかと思われますが、いかがでしょうか?
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郷土博物館の貴重な資料へのリンクをご連絡いただき、どうもありがとうございます。
お返事が遅れてしまい申し訳ございません。
千葉街道が寒川刑務所の囚人によってつくられたというお話は伺ったことがありましたが、こうした資料で拝見する機会はございませんでしたので、大変興味深く読ませていただきました。道路造設の際、どのような工事を行ったのか、残念ながら私たちも把握できておりません。新たな情報を入手しましたら、また海気通信等でご報告させていただきます。
また、今年度も7月9日(日)に「稲毛お話し会」という、稲毛の歴史や文化を語り合う会を予定しております。海気通信で取り上げる話題について、地域の方とお話ししていますので、よろしければぜひご覧ください。(http://business4.plala.or.jp/g-inageのイベントページ)
千葉)海辺の記憶「稲毛八景」で地域盛り上げ
大和田武士2017年5月3日03時00分
http://www.asahi.com/articles/ASK4V4WRNK4VUDCB00L.html
>埋め立て前まで稲毛地域にあった船だまり=千葉市民ギャラリー・いなげ提供
↑ というキャプションが付いた写真が掲載されております。これは現在のどちらの場所にあったのでしょうか?
かつて稲毛の旧海岸線にも船だまりが存在したとは寡聞にして知りませんでした。
1年越しのお返事となってしまい申し訳ございません。この度はコメントをいただきありがとうございます。こちらの記事ですが記載が誤っておりまして、写真の船溜まりは稲毛のお隣検見川にあった船溜まりの写真になります。検見川在住の写真家・新井英夫さんという方が撮影されたものです。稲毛海岸では現在草野水路が通っている辺に船がよく置かれていたようです。当時はそこが澪となっており、干潮時も船が通れるフナミチがあったそうです。
夥しい数の和船の姿には驚かされますね。
観光目的以外で和船を使うことが無くなった今となっては幻想的な風景です。
この写真の撮影時期も合わせて教えて頂ければ幸甚です。
千葉市広報映画A-25 「移りゆく浜辺」 昭和63年(25分)
Chiba City Public Information Film
12:55~
現在の姿に再建される前の映像です。
訂正
現在の姿に再現される前の映像です。
窓枠がアルミサッシですね。
動画のご案内をどうもありがとうございます。今となってはどれも貴重な映像ですね。神谷邸のアーチの一番左側にガラスがはめ込まれているのが興味深かったです。ここをサンルームのように使用していたのか、どのように使われていたのか気になります。